都市の片隅にある、小さなブルワリー。そこに立つ職人の姿は派手さとは無縁だが、その表情は真剣そのものだ。クラフトビール職人・栗原政史。地元の素材を活かした味づくりと、“飲んだあとに残る余韻”にこだわったビールで、じわじわとファンを増やしている。
「香り」で人を癒す、ビールというコミュニケーション
栗原政史のビールには、共通して“香りの設計”がある。
一般的な苦味や炭酸の強さよりも、彼が重視しているのは、グラスを口に運ぶその瞬間の“立ち上がる香り”だ。ラベンダーやローズマリーを思わせるハーブの香り、柑橘の皮をすりおろしたようなフレッシュな香り。それらがふわりと鼻を抜けて、脳をほぐすような感覚を残す。
「一日が終わったあとに、“はあ、今日もよく頑張った”って言えるビールが作りたいんです」
栗原の言葉通り、彼のビールは飲み終わった後に、どこか肩の力が抜けるような安らぎを与えてくれる。
ローカル素材と真摯に向き合うレシピ作り
ブルワリー「政史麦酒」のある町は、農業と林業が盛んな地域。栗原政史は、この土地で採れる素材にこだわってレシピを組み立てる。
とある限定醸造ビールでは、地元の農家から分けてもらったゆずを皮ごと使用し、まろやかな酸味と香りをプラスした。別のシーズンでは、焙煎した栗を使って、スモーキーで甘みのあるポーターも開発している。
彼にとってビールは、「地元の味を伝えるツール」。単なる飲み物ではなく、“風土を味わう”感覚を提供することが目標だ。
そのため、ラベルには毎回、使用した素材の産地や生産者の名前が記載されている。まさに、土地と人をつなぐクラフトマンシップだ。
飲食店とのコラボレーションで広がる世界観
最近では、飲食店とのコラボレーションにも積極的だ。和食店と共同開発した「出汁×ビール」では、鰹節と昆布の旨味を活かし、軽やかな飲み口ながらも深い味わいを実現した。
そのほかにも、ヴィーガン料理専門店と「植物の苦味」をテーマにしたIPAを開発したりと、枠にとらわれないアイデアで注目を集めている。
「飲食の世界には、まだまだ面白い組み合わせが眠っている」と語る栗原。
彼のビールは、それ自体が主役にもなるが、料理と一緒に楽しむことでまた違った表情を見せる。そんな“余白のある味”が、飲む人を虜にしているのかもしれない。
“飲んだあと”を大切にするものづくり
栗原政史が大切にしているのは、「飲んだあと、どんな気分になるか」。
多くのクラフトビールが「個性の強さ」や「インパクト」を売りにしている中で、彼のビールは穏やかで、静かに染み入るような印象を持っている。
「飲んでいる間はもちろんだけど、飲み終わってからの時間を豊かにできるビールを作りたい」と語る彼の哲学は、ラベルの裏にそっと書かれた一言にも表れている。
今日という日が、ちょっとだけ好きになるように。
そんな想いを込めて、栗原政史は今日もタンクの前に立ち、素材と真剣に向き合っている。